戸田奈津子さんは日本の映画字幕翻訳界を代表する存在でありその歩みは多くの人々に感動と影響を与えてきました。
海外映画を観る時、スクリーンの下に流れる字幕を追い、海外の有名な俳優さんの生の声も同時に楽しんでいますよね。
字幕を考える翻訳者の力によって、物語の感動や笑いをより深く感じさせてくれます。
今回この記事では、
「戸田奈津子経歴やプロフィール!映画翻訳の第一人者・映画と共に歩んだ人生」
と題して英語字幕翻訳界をけん引してきた戸田奈津子さんについて紹介します。
戸田奈津子:プロフィール!映画翻訳の第一人者・きっかけや映画と共に歩んだ人生
森川智之、吹替を担当のトム・クルーズと対面
— ORICON NEWS【アニメ】 (@oricon_anime_) May 7, 2025
翻訳・戸田奈津子氏をはさみ3ショットhttps://t.co/U6Nn0GDsAz
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戸田奈津子(とだ・なつこ)さんは、1936年生まれの88歳(2025年5月時点)福岡県の出身です。
- 名前:戸田奈津子(とだ・なつこ)
- 生年月日:1936年7月3日
- 年齢:88歳(2025年5月時点)
- 出身地:福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)
- 出身校:津田塾大学英文科卒業
- 職業:映画字幕翻訳者、通訳者
戸田さんは、88歳になられた今も、映画字幕の翻訳の仕事をされており、インタビューでもできるまで続けると話されています。
そんな戸田さんが、字幕翻訳家になったきっかけは何だったんでしょう。
字幕翻訳家きっかけその1:小学生のとき観た洋画
戸田さんは、小学生の時に洋画を見たのがきっかけで字幕の魅力にはまった
戸田さんは、小学生の時に見た洋画の字幕翻訳をみて、その魅力にハマりました。
戦後間もない東京で、華やかな洋画と出会い、カルチャーショックを受けたそうです。
あっとゆう間に映画の虜となり、映画館に通うようになりました。
字幕翻訳家きっかけその2:高校時代に見た「第三の男」の字幕に感動
字幕は直訳と異なることに感動した
高校時代には、「第三の男」を50回以上も観たとか…
セリフも覚えるほどになり、英語で何と言っているかが気になり調べたそうです。
よく聞いてみると、字幕は直訳と異なる粋な言い回しになっていることを発見。
「字幕というのはセリフのエッセンスを上手に日本語に置き換える仕事なんだ!面白い!」
と感動されました。
ここで、将来は字幕翻訳の仕事がしたいと思ったそうです。
戸田奈津子:字幕翻訳者としての第一歩は?
どうすれば字幕翻訳者になれるか考えた末、映画のクレジットにあった
日本版字幕 清水俊二
という人の名前。
しかし、会うことはできたものの、難しいという話になり、いったん諦めたそうです。
戸田奈津子:大きな転機は水野春郎氏とコッポラ監督との出会い
大きな転機としては、コッポラ監督との出会いを挙げられています。
大学卒業後、生命保険会社の秘書として働き始めた戸田さん。
字幕翻訳者への夢は諦めることなく、1年半で退社されます。
- 通信社の原稿執筆
- 広告代理店の資料の翻訳
など、仕事をしながら、機会を待っていました。
30歳の頃転機が訪れます!
日本ユナイト映画宣伝総支配人の水野春郎さん(のちの映画評論家)からの依頼で来日した映画関係者の通訳を担当されました。
英会話の経験がない中、必死でこなしたことで通訳や映画の字幕翻訳の仕事が入りだしました。
1976年「地獄の黙示録」の監督フランシス・フォード・コッポラと出会い、日本でのガイド兼通訳を担当。
コッポラ監督からの信頼を得て、「地獄の黙示録」の字幕翻訳者に当時新人だった戸田さんを抜擢されました。
これが、初の大きな仕事であり、映画字幕翻訳家としての第一歩となりました。
戸田さんの名が広まったきっかけでもある作品になりました。
戸田奈津子:当時の翻訳の仕事
ぶっつけ翻訳が基本だった
戸田さんが翻訳を本格的にスタートされた頃は、いきなり映画を観て、初めて映画の内容を理解しぶっつけで翻訳するというスタイル。
テーマについてや、時代背景、専門用語など調べる時間もなかったそうです。
フィルムの時代だったため、何度も巻き戻すこともできず、一回しか観ることが出来なかったそうです。
即座の翻訳もですが、日本語の表現力、語彙力も持ち合わせないといけない大変な仕事。
長い英文も、数秒で読める、誰にでもわかりやすい表現の日本語に要約しないといけない。
戸田さんが言う翻訳家の仕事は、
日本語力が8割
といわれていることに納得です。
進化をやめない戸田さん!
戸田さんは、様々な映画の翻訳に対応するため、日々アンテナを張られています。
若者が使う新しい言葉を知る
- 電車内の広告をチェック
- 街中で若者の話に耳を澄ませる
教科書で学べない乱暴な言葉遣いを知る
- 英語の本特にミステリー本を読む
など、日々できることから言葉の貯金をされてきています。
どんな言葉がふさわしいかは「映画が決める」と話される戸田さん。
言葉の貯金をして、映画がより楽しめて違和感のない字幕を心がけておられることが良く分かります。
戸田奈津子:トム・クルーズから感謝
米俳優のトム・クルーズ(62歳)が2025年5月に来日。
主演映画「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」(クリストファー・マッカリ―監督)
の来日記者会見がありました。
戸田さんのことを「日本の母」として紹介。
戸田さんが字幕に心血を注いでくださったことを感謝されました。
誕生日が7月3日で同じことも触れられ会場が和みました。
海外の話題作を担当してきた戸田さんは、トム・クルーズのような有名俳優の方々から絶大な信頼を得ていることが分かります。
戸田奈津子:学歴や経歴まとめ
学歴について
- お茶の水女子大学付属幼稚園
- お茶の水女子大学付属小学校
- お茶の水女子大学付属中学校
- お茶の水女子大学付属高等学校
- 津田塾大学学芸学部英文科
【1958年】
第一生命保険の秘書の仕事に就く
しかし、映画と英語への情熱から1年半で退社。
映画字幕の仕事に就くことを目指す!
字幕翻訳家清水修二氏に指示する。
【1970年~1973年】
「野生の少年」「小さな約束」などの作品で字幕を担当
【1980年】
フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で本格的にプロとしてデビュー!
年間50本のペースで字幕翻訳を手掛けるようになられたそうです。
以来1500本以上の作品を手掛け日本の字幕翻訳会を代表する存在となりました。
有名な作品では、
- 「インディ・ジョーンズ」
- 「タイタニック」
- 「スターウォーズ(新3部作)」
- 「ミッション・インポッシブル」
などなど。
映画ファンなら知らない人はいないであろう存在感で、日本と世界中の国々の懸け橋にもなられています。
2022年86歳の時には、通訳業を引退。
歳とともに瞬発力が落ちたことを話されています。
映画翻訳の仕事は続けられており、これからも戸田さんの翻訳に楽しませてもらえそうですね!
まとめ:戸田奈津子経歴やプロフィール!映画翻訳の第一人者・きっかけや映画と共に歩んだ人生
- 戸田奈津子(とだ・なつこ)さんは、戸田奈津子(とだ・なつこ)さんは、1936年生まれの88歳(2025年5月時点)福岡県の出身です
- 戸田さんは、小学生の時に洋画を見たのがきっかけで字幕の魅力にはまった
- 字幕翻訳者になれるか考えた末、映画のクレジットにあった日本版字幕 清水俊二を訪ね、その一歩を踏み出す
- 30歳の頃、日本ユナイト映画宣伝総支配人の水野春郎さん(のちの映画評論家)からの依頼で来日した映画関係者の通訳を担当
- 1976年「地獄の黙示録」の監督フランシス・フォード・コッポラと出会いガイドを務め信頼を得たことで、「地獄の黙示録」の字幕翻訳者に抜擢
- 年間50本のペースで字幕翻訳を手掛けるようになり、日本の字幕翻訳会を代表する存在となった
戸田さんの流れるような翻訳は、これからも私たちを映画の世界で楽しませてくれることでしょう!