「英語は楽しんで学ぶもの」――。
そんな考え方がまだ珍しかった戦後日本で、明るく軽快な口調で全国の人々に英語を教えた人物がいました。
ラジオ番組『カムカム英語』の講師・平川唯一(ひらかわ・ただいち )さんです。
彼は“放送を通じた英語教育の先駆者”として、日本人の語学観を大きく変えました。
平川唯一:プロフィール
◆特別展「カムカムおじさん★平川唯一とラジオ英会話★」
— 岡山県公聴広報課 (@okayama_kocho) November 16, 2021
ーーーーーーーーーー
連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のキーパーソンである平川唯一(ひらかわただいち)が、いかにして激動の時代を乗り越え英語の達人になったのか、その波乱万丈の人生を振り返ります。https://t.co/TNjmQjKM4D pic.twitter.com/TCkAAnna4G
平川唯一(ひらかわ・ただいち)さんは、1902年生まれ没年1993年(91歳没)。出身地は岡山県上房郡津川村(現・高梁市)です。
- 平川唯一(ひらかわ・ただいち)
- 生年月日:1902年2月13日
- 没年月日:1993年8月25日(91歳没)
- 出身地:岡山県上房郡津川村(現・高梁市)
- 学歴:アメリカ・ワシントン大学演劇科首席卒業
- 職業:英語教育者、NHKラジオ講師
【主な活動】 - NHKラジオ「英語会話」講師 1946〜1951年
- 1951~1955ラジオ東京・文化放送で「カムカム英語」のタイトルで英語会話講座担当
平川唯一:経歴の流れ
- 幼少期:岡山県で生まれ、16〜17歳で単身アメリカへ渡米
- ワシントン大学演劇科で演劇を学ぶ
- 1936年:帰国後、NHK国際放送アナウンサーとして勤務
- 1946〜1951年:NHKラジオ『英語会話』講師担当
- 1951年以降:ラジオ東京および文化放送で「カムカム英語」のタイトルで英語会話講座を続ける
- ラジオや教材出版を通じて英語教育を普及!
平川さんは、1918年の16歳の時、ABCも知らない状態でアメリカに渡米。
出稼ぎに行っていた父を追って兄と渡米されたそうです。
17歳の頃は、米人家庭に住み込みで家事を手伝いながら(スクールボーイ)勉学に励まれたようです。
12年余りのこの苦学生活は、平川さんにとっては「楽学」であったとも語られています。
子ども時代に農家で苦労した経験から、スクールボーイとして勉学に打ち込める環境はとても充実していたようです。
ワシントン大学に入学後、専攻を物理学から演劇に変更。
演劇科を首席でご卒業されました。
大学卒業後は、副牧師として務められ、この時出会った、滝田よねさんと1935年にご結婚。
この頃、俳優としてもご活動されています。
- マダム・バタフライ
- ダイヤモンド島の謎
など、ハリウッド映画やパサディナ劇場にも出演。
1936年に帰国され、日本放送協会・国際放送のチーフアナウンサーとして勤務されています。
多彩な才能の持ち主であることや、俳優業もされていたことにも驚きです。
平川唯一:カムカム英語とは?
『カムカム英語』は、戦後の英語教育番組として大ヒット。
英語を「学校の勉強」ではなく「日常で使う楽しい言葉」として紹介しました。
平川さんの英語は…
が特徴で、当時のリスナーは「英語が好きになった」と口をそろえました。
平川唯一:教育手法と理念
平川唯一さんの教育は次の特徴があります。
- 赤ちゃん口まね方式:音やリズムを真似して英語を覚える
- 意味よりも会話の体感を重視
- 笑顔とユーモアで学習者のモチベーションを上げる
- 家庭での会話を想定した日常英語重視
→ 現代の英会話教育にも影響を与える先駆的手法です。
平川唯一:評価・功績
- 平川さんは、戦後の日本で英語を「身近なもの」にした先駆者
- 平川さんの「カムカム英語」は放送教育のモデルケースとなっている
- 英語教材や講座を通じて、多くの日本人に英語学習の楽しさを提供されました
まとめ:平川唯一とは何者?プロフィール!「カムカム英語」の生みの親の功績と人生【おとなのEテレ】
- 平川唯一(ひらかわ・ただいち)さんは、1902年2月13日生まれで没年月日が1993年8月25日。91歳でお亡くなりになられました。岡山県上房郡津川村(現・高梁市)のご出身です。
- 平川唯一さんは、戦後の日本に英語教育の新しい価値をもたらした人物です
- 朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で英語ラジオ放送の講師を担当した人物として注目されている
平川唯一さんの教育理念や英語習得の手法は現代の学習者にも示唆を与え続けてくれることでしょう。