冨永愛のWiki経歴!いじめの経験やモデルのきっかけ!現在の活動についても

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唯一無二の存在感とスタイルで、国内外のファッションシーンを席巻してきた富永愛さん!

近年ではモデル業にとどまらず、俳優・社会活動家・母としても注目を集めています。

そんな華やかなキャリアの裏には、幼少期の家庭環境やいじめなど決して平坦ではなかった過去がありました。

この記事では

「富永愛のWiki経歴!いじめの経験やモデルのきっかけ!現在の活動についても」

と題しまして、富永愛さんの生い立ちも含めてまとめましたのでご覧ください。

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冨永愛のWiki経歴!いじめの経験やモデルのきっかけ!

冨永愛(とみなが・あい)さんは、1982年生まれの42歳(2025年5月時点)、神奈川県出身です。

  • 名前:冨永 愛(とみなが・あい)
  • 生年月日:1982年8月1日
  • 年齢:42歳(2025年5月時点)
  • 出身地:神奈川県相模原市緑区
  • 血液型:B型
  • 身長:179㎝
  • 所属事務所:Crossover
  • 家族構成:一児の母(2005年に長男を出産)

冨永愛さんは、中学生ですでに175㎝の身長に達していたそうです。

その辺のことが、いじめにも繋がり、辛い日々を過ごされています。

生立ちと背景についていじめのことも含めて、見ていきましょう。

冨永愛(とみなが・あい):生い立ちと背景

富永愛さんは1982年8月1日に神奈川県相模原市で生まれました。

3姉妹の末っ子として育ち、母親の再婚・離婚を繰り返す家庭環境の中で成長しました。

愛さんは、幼少期から身長が高く、中学2年生の時点で175cm に達していたため、周囲から「宇宙人」「ひょろひょろがいこつ」などと呼ばれれ、壮絶ないじめを受けていました。

母親に相談しても、関心を持ってもらえず、寂しい思いもしたそうです。

自身の体型にコンプレックスを抱いていた時期でもありました。

しかし、そんな冨永愛さんに転機がやってきます!

冨永愛:モデルになったきっかけ

モデルになったきっかけは、姉のすすめで応募したモデルオーディションで合格

中学3年の時、姉から

愛は背が高いんだから、モデルになりなよ。読者モデルのオーディション受けてみたら?

と言われて受けたらまさかの書類選考通過。

オーディションを受けあっさり合格したそうです。

コンプレックスだった身長が「役に立つところでは役に立つ」と感じ、驚いたそうです。

このことが、冨永愛さんの最初のモデルとしての出発点となりました。

しかし日本で求められる少女モデルは、身長より「目がパッチリで可愛い子」。

ここでも冨永さんは、コンプレックスを抱えることになりました。

徐々に、雑誌からは声がかからなくなってしまいました。

このコンプレックスが良くも悪くも、富永愛さんを世界の舞台へと羽ばたかせる要因となりました。

17歳で海外へ単身渡米されます。

日本でのコンプレックスだった身長は、海外では武器となりましたが、今度は新たにアジア人としてのコンプレックスに悩まされます。

「薄い体」「黄色い肌」「黒い髪・目」…アジア人として見下される世界。

しかし、冨永さんの負けん気で、「アジア人はセクシーじゃない」と言われたら、どうすればセクシーに見えるのか、ポージングや表情を磨いたそうです。

黒しか似合わないと言われれば、鮮やかな色で似あうものを探したり…

弱点を努力で埋め、死に物狂いで自分の長所を探し、磨いたそうです。

数えきれない悔しさが冨永さんを強くしていったことが、雑誌記事で語られています。

冨永愛:モデルとしてのキャリア

15歳で雑誌モデルとして活動開始。

17歳で単身渡米。

ニューヨーク・コレクションでデビューを果たし、その後、パリ・ミラノ・ロンドンなど世界各地のファッションショーで活躍されました。

シャネル・グッチ・ディオール・ヴァレンティノなどのハイブランドのランウェイを歩き、VOGUEなどの表紙も飾っています。

2004年には、世界的に有名なピレリカレンダーにも登場。

アジア人モデルとしての地位を確立しました。

2010年コレクションモデルを引退されました。

冨永愛:女優・メディア出演も

女優としても活動の幅を広げている富永愛さん!

2004年の映画「デビルマン」で女優デビューを果たされました。

その後も

  • 「R100」(2013年)
  • 「 世界の終わりから」(2023年)などにも出演。

テレビドラマでは、

  • 「グランメゾン東京」(2019年)
  • 「大奥」(2023年)
  • 大河ドラマ「べらぼう」(2025年)などで存在感を示されています。

冨永愛:社会貢献・活動とその想いは?

富永さんは社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。

2011年から 国際協力NGO「ジョイセフ」のアンバサダーを務め、女性の健康と権利向上を支援されています。

また消費者庁のエシカルライフスタイルSDGsアンバサダーとしても活動し、持続可能な社会の実現に向けた啓発活動も行われています。

冨永愛:社会貢献への想い

「恩送り」の精神

富永さんは、自身がこれまでに受けた多くの恩や幸運を、次の世代や社会に返していくことが使命であると考えています。

自分が頂いた恩は、次の人に贈っていく。そうやって恩は社会の中を巡っていく

と語られています。

この「恩送り」の精神が、彼女の社会貢献活動の原動力となっているようです。

母親としての視点

息子が幼稚園生だった頃、富永さんは開発途上国の妊産婦や子供たちの厳しい現状を知り、深い衝撃を受けました。

母親として「この活動は心から応援したい」と感じ、公益財団法人ジョイセフの活動に参加するようになったそうです。

2010年、2023年と、ザンビアを訪問し現地の女性たちと交流するなど、積極的に活動を続けています。

ファッション業界への問題意識

モデルとしてファッション業界に携わる中で、冨永さんは大量生産・大量消費による環境への影響に矛盾を感じるようになりました。

自分がやっていることと自分が大切にしていることの矛盾を解消しなきゃなと思った

と述べられています

環境に配慮した、持続可能なファッションの推進にも力を入れておられます。

学びと自己成長の場としての社会貢献活動

社会貢献活動を通じて、富永さんは自分自身の立ち位置や価値観を見つめ直す機会を得ています。

社会に貢献しつつもある意味自分の学びのために行っている

と語り、活動を通じて得られる気づきや成長を大切にしておられます。

これらの理由から富永愛さんは社会貢献活動をライフワークとして位置づけ持続的に取り組んでいるということが分かります

富永さんの活動は、ファッション業界における新たな価値観の提案や、社会全体への意識改革にもつながっていると言えるでしょう。

冨永愛:著書

  • 初の自叙伝
    「Ai愛なんて 大っ嫌い」(2014年)
  • 「冨永愛 美の法則」(2020年)
  • 「冨永愛 美をつくる食事」(2021年)
  • 「女の子はなんでもできる!」(2020年翻訳)

「Ai愛なんて 大っ嫌い」では、生い立ちやキャリア、自身のモデルとしての成功と挫折、母親としての葛藤など人生の様々な側面が語られています。

冨永さんの著書からは、冨永さんの人間的な魅力や強さが伝わってきます。

まとめ:冨永愛のWiki経歴!いじめの経験やモデルのきっかけ!現在の活動についても

  • 冨永愛さんは、1982年うまれの42歳(2025年5月時点)、神奈川県相模原市出身です
  • 中学2年生の時点で175cm に達していたため、周囲から「宇宙人」「ひょろひょろがいこつ」などと呼ばれれ、壮絶ないじめを受けていた
  • モデルになったきっかけは、姉のすすめで応募したモデルオーディションで合格したことから
  • 2004年の映画「デビルマン」で女優デビューを果たされ、その後もTVドラマにも出演されました
  • 2011年から 国際協力NGO「ジョイセフ」のアンバサダーを務め、女性の健康と権利向上を支援されています
  • 初の自叙伝「Ai愛なんて 大っ嫌い」(2014年)や「冨永愛 美の法則」(2020年)「冨永愛 美をつくる食事」(2021年)「女の子はなんでもできる!」(2020年翻訳)など多数

冨永さんの生い立ち、経歴や現在の社会貢献活動のことを知り、内面的な魅力を強く感じられました。

今後の冨永さんの活動に注目していきたいですね!

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