【徹子の部屋】南野陽子のルーツや父・母について!頑固さは父譲り?プロフィールも

南野陽子 父母 家族 プロフィール エンタメ

女優・南野陽子さんが「徹子の部屋」に出演!

明るく気さくな語り口とは裏腹にルーツには意外な苦労や感動的なドラマも

今回は、

「【徹子の部屋】南野陽子のルーツや父・母について!頑固さは父譲り?プロフィールも」

と題して、南野陽子さんのルーツにも触れながら、お父さんお母さんとの深い絆について紹介していきます!

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南野陽子のルーツ:「ナンノ姓」に込められた思い

2023年に放送された「NHK ファミリーヒストリー」では ”南野”さんの本名、”南野”が、かつては「ナンノ」の と読まれていたことが明かされました。

父方の高祖父(4代前)は兵庫・西脇で馬や牛の仲買をしていた裕福な商家だったそうです。

しかし賭博の借金で家業を失い、大阪へ移住。

その際、”ナンノ”姓を”ミナミノ”と改め、再出発を図ったと言います。

この改姓には、「一度失敗した人生をやり直したい」という無念と覚悟が込められていたそうです。

南野さんはこのエピソードに触れ、「負けず嫌いな気質は、もしかしたら血の中に流れているかも」と感慨深く語られていました。

父方:祖母の背景

父方の祖母は「薩摩おごじょ」(鹿児島出身の女性)で、明るく芯が強い性格だったそうです。

その気質は南野陽子さんの両親、英夫さんと陽子さんに共通しており、「笑顔と根性」の原点として紹介されました。

母方:ルーツ:カナダ移住!

【母方の曽祖父・曾祖母のルーツは極めて異色!】

京都出身の曽祖父・高田(タカタ)氏は洋服仕立ての技術を生かし、40歳を超えてからバンクーバーへ渡航されたそうです。

現地でも、評判を得ていたテーラーだったようです。

母側の祖父・清太郎氏もバンクーバーで仕立て師として活躍されたようです。

しかし、一時日本に帰国したり、仕事も翻訳業をしたりと時代背景と共に、その生計も形を変えながら壮絶な人生を歩まれています。

そんな中、赤痢を患い47歳の若さでお亡くなりになり、祖母は、久美子さん(陽子さんの母親)を女手一つで育てたとのことです。

南野陽子:父親について

徹子の部屋に出演の際には、特にお父さんについての話題が取り上げられる予定です。

お父さんは、どんな方だったのでしょう!

父親の生い立ち

父・英夫さんは、中学卒業後、香料製造会社に就職し、夜間定時制高校に通い、さらにその後も5年かかって大学まで卒業された、努力の人だった。

その後は、自社の製造機器を開発する技術者として活躍した、努力家でもありました。

【父親の性格についてエピソードから】

ここのパンを食べるといったら、20年くらいずっと同じパンを食べ続けた

というエピソードは母に語られたエピソードとして紹介されています。

また、次の日にきていくものは絶対、前の日に準備。

雨天の場合と両方、用意したりします

と、陽子さんと父親の共通点も明らかに!

これには、MC今田耕司さんにも「ガッツリですやん!お父さん」と突っ込まれていました。

南野さんの性格「芯の強さ」「頑固さ」「几帳面さ」は父親譲りであることが、これらのエピソードから分かります。

お父さんの介護について

2011年に68歳で病気のためお母さんが亡くなられたそうです。

その後、父・英夫さんが歩行困難に。

陽子さんは東京へ呼び寄せ、自宅や箱根の施設で約10年以上にわたり介護を続けました。

同居中はストレスや喧嘩の日々もあったそうです。

箱根の施設に預けて適度な距離を置くことで、互いに心の余裕が生まれました。

施設から、月3~4回迎えに行っては食事を楽しむなど、「深い親子関係」で晩年を過ごされたそうです。

2022年から2023年頃に秀夫さんは他界。

悔いなく見送ることができた

と語る南野さんは、お父さんへの感謝と尊敬の念を強く抱いています。

「徹子の部屋」に出演では、お父さんの介護についてもっと詳しくお話が聞けるのではないでしょうか。

南野陽子:プロフィール

南野陽子(みなみの・ようこ)さんは、1967年生まれの58歳(2025年7月時点)、兵庫県の出身です!

  • 名前:南野陽子(みなみの・ようこ)
  • 生年月日:1967年6月23日
  • 年齢:58歳(2025年7月時点)
  • 出身地:兵庫県伊丹市
  • 身長:161㎝
  • 血液型:B型
  • 活動:1984年~

まとめ:【徹子の部屋】南野陽子のルーツや、父・母について!頑固さは父譲り?プロフィールも

  • 南野陽子(みなみの・ようこ)さんは、1967年生まれの58歳(2025年7月時点)、兵庫県の出身です!
  • 陽子さんの父方の高祖父(4代前)は兵庫・西脇で馬や牛の仲買をしていた裕福な商家だったが、賭博の借金で家業を失い、大阪へ移住し”ナンノ”姓を”ミナミノ”と改め、再出発を図った
  • 京都出身の曽祖父・高田(タカタ)氏は洋服仕立ての技術を生かし、バンクーバーでテーラーとして生計を立てる
  • 南野陽子さんの父親・英夫さんは、中学卒業後、香料製造会社に就職し、夜間定時制高校に通い、さらにその後も5年かかって大学まで卒業された、努力の人だった
  • 2011年に68歳で病気のためお母さんが亡くなられた後、父・英夫さんが歩行困難に。陽子さんは東京へ呼び寄せ、自宅や箱根の施設で約10年以上にわたり介護を続けた

努力家で律儀な父、南野陽子さんの芯の強さはやはり、お父さん譲りですかね。

「徹子の部屋」で語られるお父さんとの話題に注目です!

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