今では日本の定番菓子パンとして知られる「あんぱん」。
実は、あの人気の和洋折衷パンは、ある一人の男の挑戦から生まれました。
その名は、木村安兵衛(きむら・やすべえ)。
彼の手によって明治時代に誕生した「木村屋のあんぱん」は、皇室にも献上されるまでに至ります。
今回は、あんぱんの生みの親・木村安兵衛のプロフィールや経歴、あんぱん誕生の裏話を分かりやすくご紹介します。
木村安兵衛どんな人?プロフィールやあんぱん誕生までの経緯
- 名前:木村安兵衛(きむら・やすべえ)
- 生年:1832年(天保3年)
- 出身地:武蔵国江戸(現在の東京都)
- 職業:パン職人・実業家
- 創業:明治2年(1869年)に「文英堂」(のちの木村屋)を設立
- 没年:1910年(明治43年)
あんぱん誕生の経緯と裏話を分かりやすく
明治初期、日本人にはパンの「におい」や「味」が受け入れられにくかった。
木村安兵衛は、息子の栄三郎とともに試行錯誤。
発酵に「酒種(さかだね)」を使用し、和菓子の「あんこ」をパン生地で包んだ新しいスタイルのパンを考案。
1874年(明治7年)、あんぱん誕生!
同年、山岡鉄舟の紹介で明治天皇にあんぱんを献上。
桜の塩漬けを載せた「桜あんぱん」は皇室御用達に!
木村屋の名は、全国に知れ渡り、人気パン店へ成長した。
あんぱん開発までのエピソードと背景を詳しく!
【木村安兵衛は元武士だった!】
木村安兵衛は、元は桑名藩に仕えていた武士でしたが、明治維新の混乱の中で職を失い、江戸で一念発起してパン屋「文英堂」を開業します。
この”二度目の革命”がなければ、あんぱんは生まれなかったとも言われています。
【火事にも負けず!】
文英堂は開業から間もなく火事で焼失。
しかし、銀座に店に移し再起を図ります。
そこで日本の菓子「饅頭」の形にヒントを得て、酒種酵母を使ったしっとりとした生地であんを包み、ようやく日本人好みのあんぱんを完成させました。
【鉄舟との出会いが皇室への道を拓く】
旧知の山岡鉄舟(維新期の武士であり明治天皇の侍従)があんぱんを試食し、その味に感動。
鉄舟の勧めで明治天皇に献上され、「桜の塩漬けをあんぱんに載せる」工夫によって皇室御用達となり、一気にあんぱんが知名度を得るきっかけとなりました。
まとめ:【偉人の年収】木村安兵衛どんな人?プロフィールとあんぱんが生まれた経緯やエピソード!
- 木村安兵衛は、1832年(天保3年)生まれで、武蔵国江戸(現在の東京都)出身
- 木村安兵衛は、77歳でお亡くなりになりました。
- 明治2年(1869年)に「文英堂」(のちの木村屋)を設立した、パン職人・実業家
- 元は桑名藩に仕えていた武士でしたが、明治維新の混乱の中で職を失い、江戸で一念発起してパン屋「文英堂」を開業
- 火事に遭うが、銀座に店に移し再起を図る
- 日本の菓子「饅頭」の形にヒントを得て、酒種酵母を使った生地であんを包み、日本人好みのあんぱんを完成させた