田内洵也のプロフィールと学歴・経歴!桑田佳祐楽曲提供の経緯や”流し”のこだわり【深川のアッコちゃん】

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人の経歴には、その人ならではのきっかけや流れがあります。

どんな道をたどってきたのかを知ると、その人の活動の背景が少し見えてくるものです。

田内洵也さんも、幼い頃からの環境や経験が、今の音楽活動につながっています。

今回この記事では、

「田内洵也のプロフィールと学歴・経歴!桑田佳祐楽曲提供の経緯や”流し”のこだわり【深川のアッコちゃん】」

と題して、田内洵也さんの歩みを、プロフィールと経歴から順にたどっていきます。

まずは、田内洵也さんの基本的な情報からご紹介します。

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田内洵也:プロフィール

  • 名前:田内洵也(たうち・じゅんや)
  • 生年:1989年
  • 年齢:36歳
  • 出身地:長野県生まれ(愛知県春日井市育ち)

現在は、都内を拠点に“流し”のシンガーソングライターとして活動しており、アコースティックな弾き語りを中心に、ブルースやカントリーを基調とした温かい歌声を聴かせます

田内洵也:学歴・経歴・海外生活も!

【生年月・出身】
1989年、長野県で生まれ。

幼少期は愛知県春日井市で育ちました。

幼少期にはテニスラケットをマイク代わりに歌っていたというエピソードあり!

【タイ(バンコク)での少年時代】
父親のタイ赴任に伴い、中学1年〜3年のころをバンコク(タイ)で過ごします。

日本人学校中等部に在籍。

その時期、12歳でビートルズに衝撃を受けたと語っており、ギターを独学で習得されています。

田内さんがギターを独学で習得されるまでに、いくつかのラッキーな出来事がありました。

「タイはギターが安いから買ってあげて」と、お手伝いさんがご両親に頼んでくれたこと。

文化祭でギターを持って行ったことがきっかけで、担任がギターのコードを教えてくれたこと。

これらが重なり、田内さんがどんどん音楽の世界へ引き寄せられていきます。

初舞台は、乗馬キャンプ場にあったギターで、レットイットビーを10~15人の前で披露。

聴衆の前で演奏する快感は、今でも忘れられない思い出となっています。

その後、音楽仲間とバンコクのストリートで、弾き語りを始めたことが今の音楽の原点となっているようです。

【高校時代】
高校は南山国際高校(南山国際校)を卒業(2007年)とされています。

高校時代、成績はあまり良くなかったと田内さん自身が話されています。

高校の恩師、山田信芳先生の授業が後の音楽活動に大きく影響したようです。

高校時代にも、学校や駅前でライブをするなかで、音楽の道へ進むことを決意されました。

【高校卒業後・海外留学】
高校卒業後、19歳の時、高校在学中から決めていたアメリカへ留学。

音楽の本場であるアメリカで2か月間、音楽修業されました。

※ある記事では、2年間をバイトしながら海外を放浪した後、大学受験を決めたとなっているため、音楽修業の時期と重なっているようです。

【大学進学】
留学後は、東洋大学 社会学科を受験し進学されました。 

「選択音楽」を履修。この時の担当教員が山田信芳先生で、ドイツオーケストラの指揮をするようなクラッシック畑の先生だったそうです。

しかし、山田先生の授業では、ブルースやフォークなどをプロジェクター映像とともに学ぶ内容があり、それが田内さんの音楽感覚に大きな刺激を与えたそうです。

後に、大学受験では山田信芳先生に推薦状を書いていただきお世話になったことを明かされています。

【音楽活動本格化】
大学時代以降、本格的に音楽活動を広げていきます。

彼のオフィシャル・バイオグラフィーによれば、都内近郊のバーを拠点に「流し(酒場で弾き語り)」として活動スタイルを確立。

年間300本以上の音楽活動を実施。

【海外音楽経験】
2014年頃には単身でアメリカ(オースティン、メンフィス、ナッシュビル、ニューオーリンズ、シカゴなど)へ渡り演奏。

日本に留まらず、世界を旅しながらのライブを行っています。

こうして田内さんの生い立ちを見ていくと、田内さんが音楽を始めたきっかけは大きく3つあることが分かります。

  1. 中学時代にギターを買ったこと。
  2. 親のタイ(バンコク)赴任での生活中にストリートで弾き語りを始めたこと。
  3. 南山国際高校(南山国際校)の恩師の山田信芳先生の授業が非常に影響深かったこと。

また、今の田内さんの音楽スタイルは、タイの街角で、人前で歌う経験が原点といってもいいでしょう。

幼少期からタイという異文化の中で育ち、その自由さやストリート感覚が音楽の根っこにちゃんと染みているのが伝わってきます。

田内洵也:流し(バーでの弾き語り)にこだわる理由

公式サイトや複数のインタビューで、田内さんは都内近郊のBarを拠点に“流し”として歌うことにこだわっていると明言しています。

インターネットや配信全盛の時代にあえて酒場で歌い続ける姿勢が、アーティストとしてのアイデンティティになっています。

リクエストに応じたり、その場の人間模様を歌に取り込んだりする“生の交流”が、流しで歌う価値だと考えているようです。

国籍も言葉も関係なく拍手が起きる…そんな体験を重ねたことで、「音楽はもっと日常の中にあるもの」という考え方が確立していったのだと思います。

田内洵也:楽曲について

田内さんの楽曲は、アイリッシュの素朴な温かさや、ブルースの芯の強さもほんのり感じられる“土の香りのする音楽”。

派手さよりも、人の心のリズムにそっと寄り添うタイプで、流しで歌うとその魅力がさらに引き立ちます。

世界の音楽を自分の体と経験で噛み砕き、そのままの温度で届ける。

田内洵也さんの流しというスタイルは、まさにその積み重ねから生まれたものだと言えます。

田内洵也:桑田佳祐さんとの出会いと楽曲プロデュース

2017年ごろ、田内さんが“流し”として歌っていたBarで桑田佳祐さんと出会ったと複数の報道・公式発表が伝えています。

以降、桑田さんは客として何度も彼の歌を聴くようになりました。

田内さんが自主制作で発表していた楽曲(「深川のアッコちゃん」は2024年発表のアルバム『Traveling Man』収録曲)があり、その曲を桑田さんが気に入り、リアレンジ/再録を提案してプロデュースする流れになった

と報じられています。

桑田さんは“夏 螢介 a.k.a KUWATA KEISUKE”という名義で編曲/プロデュースに参加しています。

各記事は、桑田さんが田内さんに対して

「俺が一曲面倒みてやるよ」

と声をかけた、という趣旨の経緯を伝えています。

その結果、2025年に桑田プロデュース盤としてシングル化・再リリースされる運びになりました。

バーでの“偶然の耳”が、ここまでの大舞台につながるのは本当に映画のよう。

田内さんの“流し”というスタイルがなければ出会わなかった縁なので、場所と続けることの大切さを強く感じます。

しかし、出会ったBARってどこなんでしょうね。

少し調べてみると、いくつか芸能人が行きつけのBARはあるようです。

隠れ家的な、そして、会員制のBARのようですよ…

まとめ:田内洵也のプロフィールと学歴・経歴!桑田佳祐楽曲提供の経緯や流しのこだわり音楽へのきっかけ【深川のアッコちゃん】

  • 田内洵也は、幼少期に父の仕事でタイへ渡り、海外の文化や音楽に触れた経験が現在の感性の土台になっている。
  • 日本へ帰国後は高校は南山国際高校(南山国際校)進学し、恩師、山田先生との出会いが後の音楽活動の基盤になったともいえます。
  • 高校卒業後、2年海外での放浪生活を経て、大学は東京の東洋大学社会学部へ入学した。
  • 田内さんは“生の反応が一番リアル”と感じたことから、流しスタイルにこだわり、都内のBarを中心に歌うようになる。
  • 桑田佳祐さんが足を運ぶBarで田内洵也さんが流しとして歌っていた。その出会いがきっかけで歌声を気に入られ、大きく縁がつながった。
  • 桑田佳祐さんとの出会いは、田内さんにとって重要なターニングポイントとなった。

桑田佳祐さんとのBARでの出会いが、ここまでの大舞台に繋がるのは本当に映画のようです。

今後のご活躍に目が離せませんね!

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